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大阪万博story #2

東高校で仲間と元気良く、過ごす日々に
完璧に充実感を覚え、夕張岳や前岳が目の前に
屏風の様にそびえる、急坂の通学路にも、何故か深い
愛着を覚えていた。

オマケに新聞部の活動に、手を染め始めていたのも
この頃からだったと、朧気な記憶が有る
確か、この新聞の活動の中でも、大阪万博も
取り上げた、記憶が有る、詳しい内容は
全く、消え去っていますので・・・

ナンデ、大阪EXPOに行くことに成ったのか・・・と言うと
クラスメイトで、Ⅿ 佐々木君と何気に、気が合って
トントン拍子で、行こうか!と話がまとまったと思う

宿泊は、どうする・・彼は、小学校横のカトリック教会へ
通っていたので、その伝で、高槻市内にある教会への
手配をしてくれたので、因みに高槻、お侍の時代には
城主「高山右近」さん、安土桃山時代?当時では珍しく
クリスチャンとして洗礼を受けてキリスト教に帰依していたので
今も市内に建っている、右近像はクリスチャンの衣装を纏って
街を見守っているはずです
その話も、また後日に詳しく書きます

さて、当時の時刻表を、穴が開くほど検討して
行きは、青函連絡船で海峡を越え、青森からは
日本海縦貫線を使い、急行「日本海」だったかな?
列車の右手には日本海の波打ち際を見続け
当時では、日本最長と言われた、北陸トンネルの
長い、長い暗闇を越えて、やがて関西圏に辿りつき
ようやくの事で、大阪入り・・・大夕張を出発後
丸っと2日間チョイ、懸かったと思います

まー 呆れる程、長い長い行程でしたが、あの歳だったから
平気、平気だったのでしょう
やがて、目的地、関西は高槻市へ、ヘロヘロで到着!!

ベースキャンプ、高槻市内は、オイラにして見れば
もう充分過ぎるほど、都会の眩しさに、キラッキラに輝いていたのです
ガンガン飛び交う関西弁、当たり前ですが、でも何となく
心地良い響きに聞こえてきて、拒否反応はまるで無い
あの頃から、関西が、妙に気に成っていたのかも知れない

さて、第二話も、ここまで・・・

by road7hiro | 2010-03-17 18:59