故郷を離れた形は異なっても
3/10 二日連続の猛吹雪がエルムの町を襲っていた
徒歩で僅か10分ほどの地下鉄までの道が折からの強風で
猛吹雪に姿を変え街を人までも吞み込むような有様でした
この日は大震災や原発爆発による放射性物質による被爆を避けて
この縁も無く友人もいない北海道へ命がけで避難をした方々の
繋がりを確認し情報交換や改めて故郷の想いを繋ぐ集まり
「ようこそあったかい道」白石区の札幌コンベンションセンターを
会場にして開催されました。


この会のお話はfacebookの友人からの繋がりに発端があります
それは2月のBetter Days Projectの際に原発事故直後に郡山から
避難されその後以前から携わっているDJとして活躍されている
宍戸慈さんとの出会いとご挨拶がスターティングポイントです
その後facebookで、この集まりのご案内を拝見して
ヨッシャー行って見る会・・となりました
この会の一番のインプレはなんて小さなお子さんが多い集まりなんだろうと
それが会場に足を踏み入れた時に感じた想いでした
其の訳が会場で買い求めた小冊子やアナウンスメントでようやく理解出来ました


それは原発のメルトダウンから始まり水素爆発から崩壊へと進んでしまった
重大な過酷原子力事故に依る想像も出来ない程膨大な数値の放射性物質の
地域への拡散と降下して起きる重大な汚染被害は森林も里山も
そして一番重大で酷い事態は人への被爆へと形を変えて邪悪な事故へと
進んでいたこの放射性物質は特に小さなお子さんとお母さんへ著しい
被爆障害を引き起こすのですお子さんは特に甲状腺ガン或いは白血病や
心臓疾患など多臓器に渡る酷い病状を引き起こすのがチエルノブイリ原発事故の
周辺住民と言ってもそんなに近い距離ではない街の住民からは明確に放射物質による
被爆症状が呈されているのです。
そんな危険な状況を理解しこの北の地で生活を送っています
でも家族全員ではなく多くの方が生活の大黒柱たる
ご主人を福島などの被災現地に残されての離散生活を送らざる得ない
とても寂しくて辛い避難生活の渦中に有ります
正しくこの日は同じ境遇にある被災者が共に集う貴重な時間だった


痛みを共有できる故郷の仲間とは住んでいた町の名は違えども
見あげていた空は何も違いはなく一つの運命共同体と言って
間違いではないと感じた一日です
そして「原発は誰も幸せなんかに出来なかった」
苦しめるだけの邪悪でアンコントローラーブルな悪魔の業火でした
この日の子らや母親が安全に暮らせる環境を北海道の自分達は
協力して支援したいと思います、出来ることは有ります
動き出せば必ず見えてくる同じ国に住む家族ではないでしょうか!



by road7hiro | 2013-03-11 20:26 | 3.11 大津波大震災